天守(てんしゅ)とは日本の戦国時代以降城の象徴的存在となった建造物のことである。殿主、殿守、天主などの字も当てられる。
起源
名称、様式・形式が何から由来しているかの結論は出ていない。
初期の頃は物見櫓・司令塔・攻城戦の最終防御設備としての要素が強かったが、織田信長の近畿平定の頃からは遠方からでも見望できる華麗な権力を象徴する建造物という色彩が濃くなっていったものとも考えられている。
天守のような建物が初めて造られた城はわかっておらず、伊丹城、楽田城、多聞山城などが古文献などを根拠に天守の初見として挙げられているが、具体的な遺構などは不詳であり、いずれも、天守の初見であるとの立証が難しくなっている。
名称の由来
名前の起こりは殿主、殿守から由来するか、仏教思想やキリスト教の天主(でうす)の訛ったものなどの宗教思想からの命名とも考えられている。
宮上茂隆によると、天守の名称の由来は岐阜城の天主が始まりであり、織田信長が、策彦周良に依頼して麓にあったという四階の御殿に命名したものであるという。
参考文献
天守. (2009, 8月 21). Wikipedia, . Retrieved 14:03, 9月 9, 2009 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A9%E5%AE%88&oldid=27543272.
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